私は、初詣は必ず地元の氏神、という家庭に育ったせいか、地元の
神社=近所の世話役のオジサン・オバサン的イメージを持っています。
だもので、引っ越し先や旅行先で神社を見かけると、
「ちょいとご近所に越してきました。よろしくお願いします」
「軒先をしばらくお借りしますが、どうかよろしく」といった感じで
お参りをする方です。信心というより、挨拶という感じで。
千葉のとある町に引っ越した時、散歩中に小さな神社があるのに
気づきました。休日で晴天でご機嫌で暇だったので、「おや、こんな
ところに弁天さんが。そんじゃ、ご挨拶していこうかな」と連れと
一緒に鳥居をくぐりました。
その途端、ぞぞっと寒気が走りました。ちりけもとがそそけたつとは
まさにこのこと。たかだか3mくらいの参道なのですが、どうしても
足が前に進みません。連れも心なしか青ざめた顔をしています。
「ごめん・・・ちょっと・・・」ともごもご呟きながら、わたしはじりじりと
後ずさって元の道に戻りました。鳥居からちょっと離れたとたん、わけの
わからない恐怖がこみあげてきました。
連れと顔を見合わせたとたん、二人ともまったく同時に駆け出しました。
というか、逃げ出した、という方が正しいでしょう。
なぜなのか、今でもわかりません。連れも「なんかすごく恐くなった」と
しか言いません。
でも、その地に住まっている間、その弁天さんのある小道には二度と足を
向けませんでした。
あの叫び出したくなるほどの恐怖感がどこからきたのか、今もって謎です。
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