中学の修学旅行で沖縄に行ったことがある。
「修学旅行の目的地が沖縄」と言うと羨まれるかも知れないがそんなに良い物でもなかった。というのも俺達の学年の主任教師をやっていた社会科の先生が戦争について尋常じゃないほど関心のある人(左寄り)だったので、社会化の授業内容はほぼ1年中日本軍が引き起こした惨事などが中心になっていた。
なので沖縄にいくことになったのも、「中学の思い出作り・・・」というよりは「実際に戦場になった土地で戦争の残酷さをしっかり学習する・・・」というのが目的だったからなんだと思う。今思えば沖縄やサイパンのように当時激戦区になった土地は明らかにヤバイ筈なのだからもっと注意して行動すればよかったのかも知れない。
修学旅行の内容は畑の地下に掘られた防空壕の見学とか、ヒメユリの塔の記念館の見学とか、実際に沖縄戦を経験した当時の女学生さん(今はおばあさん)のお話を聞いたり・・・といったもので、修学旅行なのに全然楽しくなかった。正直かなり気が滅入る内容だった。
その反動で、「自由時間使って飛び切り楽しいことやらんと身がもたん」と思うようになっていた。旅行前半は本島での行動だったが、後半は渡嘉敷島のような離島に移動した。
(その離島が何という名前だったかは覚えていない)その離島での宿泊所は、戦時の米軍のベースキャンプ用に建てられた施設だった。島全体を見渡せる丘陵全体を覆うように敷地が広がっており、その丘の中腹に宿泊施設が建っていた。
敷地の広さはこれでもかと言うほど広大で、端から端が見渡せないほど広かった。(何十キロもあるそうだ)宿泊施設は敷地の端っこにあり、そこから先は延々と野原と森が広がっているのだ。
丘の向こうには一体何があるのか確かめてみたい、そうゆう一種の冒険心をくすぐられる景色だった。夕方になって自由時間があった。
部屋ですることもなく呆けていると、俺と同じようなことを考えた奴がいたようで、一緒に探検しにいかないかと持ちかけてきた。2人だけでは寂しいのでもう1人連れてゆくことにしてそばにいた奴を誘った。
そいつは自由時間が割りと短めだということを理由に同行するのを嫌がったが強引に誘った。結局3人で探検しに行くことになった。
出発するころには日が沈んで辺りが暗くなり始めていた。(以下誘ってきた奴をK、オマケ君をFとする)ところで沖縄にはハブがいる。
もちろんその離島にもいる。ハブは咬まれたら血清を注射してもらわないとまず助からないという恐ろしい毒蛇である。
咬まれてパニックになり動き回るのもよくない。咬まれたときは人に助けてもらうしかないのだ。
ベースキャンプの敷地はネズミ返しのような特殊な塀で囲ってあり、一応はハブが侵入しない様になっているのだが・・・本当に安全なのは宿泊施設周辺だけである。だから自由時間中も宿泊施設からなるべく離れないように注意されていたのだが、駄目といわれたら余計にやりたくなるのが子どもだ。
俺達は一時の好奇心に任せてかなりの冒険を冒してしまった。3人で丘を登ってゆく。
進むに連れて道はどんどん狭まってゆき両側の草むらが迫ってくる。ハブがいそうな場所はまさにそうゆう場所なのでちょっと怖い。
Fが「危ないから帰ろう」としきりに言う。俺とKはそれを無視してガンガン進む。
ハブは確かに怖いが、冒険をしているという興奮と高揚感が危機感を麻痺させていた。宿泊施設が後ろに遠く小さくなった頃には辺りは真っ暗になってしまっていた。
そうなった頃になってようやく俺も怖くなってきた。もし本当に草むらにハブがいたら、この状況で咬まれたらまず命が無いのだ。
コメント